約 57,976 件
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/183.html
<魏 245年> <蜀漢 245年> <呉 245年> 245年 赤烏八年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝) 皇后 (空位) 皇太子 孫和 三公(呉) 陸遜(上大将軍)→(死亡)→(空位) その他の要職(呉) 太常:潘濬? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:朱然 衛将軍:全琮 上大將軍:? 主な事件 八年春二月、丞相の陸遜が卒す。《三国志呉書呉主権伝》 夏、雷霆落ちて宮門柱を壊す。又、南の渡し場の大橋を壊す。茶陵縣では鴻水が氾濫する。二百餘家が家や人を流漂される。《三国志呉書呉主権伝》 秋七月、將軍の馬茂等が反逆を図り三族皆殺しとなった。《三国志呉書呉主権伝》馬茂はもと淮南鍾離の県長であった。王淩の為に帰る所を失い、叛いて吳に帰す。吳は征西將軍、九江太守、外部督と為し、侯に封じ千兵を領させた。孫權は幾度か苑に出て公卿諸將と狩猟をした。馬茂は兼符節令の朱貞、無難督の虞欽、牙門將の朱志等と計って、孫權が苑中にあるのを伺って公卿諸將がまだ門にあって入っていないのを見計らい、貞に節を持たせ詔を読み上げさせ、悉く收縛し、馬茂が兵を苑に引き入れ孫權を撃つという計画を立てた。また分けて宮中及石頭塢も抑え、人を遣わして魏に報告しようとしたが、事が発覚し皆殺しとなった《三国志呉書呉主権伝に引く吳歷》 八月、大赦。《三国志呉書呉主権伝》 校尉の陳勳を遣わして屯田及作士三萬人を率いて句容中道を穿つ。小其から雲陽西城に至り、會巿を通り、邸閣を作る《三国志呉書呉主権伝》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 244年<< >>246年
https://w.atwiki.jp/sangoku12/pages/4.html
リンク 天猿之三國志 管理人:天猿様 その画才も去ることながら、正史三国志の武将を的確且つ面白く紹介するその文才にはただただ脱帽するしかないです。
https://w.atwiki.jp/orifusai/
三国志 基礎データ@wiki 史書の記述に沿って三国志の登場人物の「誰が」「いつ」「どこで」事跡を残したかをまとめるサイトです。 このページはどなたでも自由に編集することができます。 とりあえずは『三国志』『後漢書』『晋書』等の史書をベースとします。また『出典』をできるだけ明記してください。『三国志演義』や小説、漫画、ゲームなどでの設定はとりあえずは対象外とします。(そのうち別サイトで演義ベースもやりたいですが、、) 「誰が」の情報は各人物毎にページを作成し、「いつ」「どこで」の情報を時系列で記述していきます。 「いつ」の情報は1年毎に「どこ」に「誰が」いたかを場所毎(郡国単位)で記述していきます。 出来るだけ人物ページに1行追加したら、その同じ記事を年代別ページにも記述して、人物ページと年代別ページに矛盾が無いようにして頂けると嬉しいです。 人物や年はどんどんご自由に追加してください。テンプレート集を用意してありますのでそちらを使ってください。 その他の題材に関しては『備考』に掲載してください。 ご意見・ご要望・苦情などあればコメント欄やメールでお願いします。 趣旨・目的・願望 三国志の人物の事跡を追っていくと、その事跡がいつ行われたのかが書いていなかったりして分からないことが多いので、その整理をする。 三国志を題材にした創作・研究・ゲーム・暇潰し等を行っている方々へのネタ提供、考察のヒントに。 そもそも暇潰し(あまり肩肘張らず、細々と気長にやっていければと) 手元にちくま本がある人は是非更新に参加してください~。後漢書とかとの比較はきっと誰かがやってくれるでしょう(笑) とりあえずのおすすめページ 190年 空白地だらけの中国大陸なんて嘘!本当はこれくらい太守の名前が分かるのです。 曹操 「非常の人」曹操の波乱万丈の一生。いったい何キロ生涯に移動したのだろう。 管理人:織風斎 - visitors since 2007/03/16
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/91.html
<魏 260年> <蜀漢 260年> <呉 260年> 260年 甘露五年→景元元年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公)→曹奐(字景明・魏常道鄉公) 皇后 卞氏(父は卞隆)→(空位) 皇太子 三公(魏) 太傅:司馬孚(前太尉) 太尉:高柔(前司徒) 司徒:鄭沖(前司空) 司空:(空位)→王觀(前尚書右僕射)→(死亡)→王祥(前司隸校尉) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号) 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 司隸校尉:王祥→ 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:王経 交州牧:孫壹 主な事件 五年春正月朔,日有蝕之《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 夏四月、詔して、有司が先に命を受けて、また大將軍の司馬昭を相國の位に進める。晉公に封じ、九錫を加える《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 五月己丑、高貴鄉公が卒す,年二十。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 皇太后が令して曰く、「私の不徳によって、嫡子を作らず、昔東海王の子の曹髦を擁立し明帝の跡を嗣がせた。書疏文章を好むように見えたが成長するに従って情性暴戾が現れ、私は幾度も呵責した。造作は醜逆で、道ならぬ言で私を誣謗した。兩宮は隔絶し聴くに耐えられなかった。私は密かに令して大將軍に語り、宗廟を奉るに相応しくなく社稷を覆すのを畏れる。死んで先帝に見える顔が無い。大將軍はまだ若く善に改心するだろうというのだが、その所行はますます甚しく、弩で私の宮を遥かに射て、矢が私の前に落ちることがあった。私は大將軍に之を廢せずにはいられないと前後數十に渡り語った。しかし、賂遺私の左右の人間を買収し、私が藥を服するのを利用して密かに毒をもらんと周到に計画を立てていた。事が覺露すると、兵を挙げて西宮に入り私を殺さんとした。大將軍が退出すると、侍中の王沈、散騎常侍の王業、尚書の王經を呼び、懷ろより黃素の詔を出して示し、今日まさに実行しようというのだと言った。私は危殆の中にあり累卵の危うさであった。私は老い独り身で、どうして余命を惜しむことがあろうか? ただ先帝の遺意を遂げることが出来ないのを傷む。沈、業はすぐさま大將軍に馳せていって相談し、まず先に警護を厳しくした。帝は左右のものを率いて雲龍門より出て刃を交え、自らも剣を抜いて左右の雑兵と入って来た。前鋒において害され自ら大いなる過ちに落ちる。昔、漢の昌邑王は罪をもって廃され庶人に落ちた。よって民禮をもって葬送するように。內外に令してこの子の所行を知らしめるように。又尚書の王經は凶逆無狀にして逮捕し、家屬は皆廷尉に引き渡せ」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》帝は権威が去って行く日を思い患っていた。侍中の王沈、尚書の王經、散騎常侍の王業を召して曰わく「司馬昭の心は路人でも知っている。どうして廃位の恥辱を受けられようか。今日、卿等とともに自ら討って出る」王經曰わく「昔魯昭公は季氏に我慢できず結果敗れて國を失い天下の笑い草となりました。今権勢は司馬氏にあり久しくなっています。兵甲は弱く少なく陛下はどうやって用意なさるのですか。一旦事を起こし、病根を除けなければ更に深まることになるでしょう!」帝は懷から版令を地に投げ捨てて「事は決した。まさに死ぬだけだ。何を懼れるか?」 これにおいて太后に知報告し、王沈、王業は奔しって文王に告げる。文王はために備えられた。帝は僮僕數百を率いて軍鼓を鳴らして出で、文王の弟の屯騎校尉は帝と東の止車門で遭遇し左右を叱責した。奔走した。中護軍の賈充は帝と南闕下で戦い、帝は自ら抜劍する。退ぞかんとする。太子舍人の成濟は充に問うて曰わく「事は急です。いかがいたしますか?」充は曰う「汝等を養ってきたのはまさに今日のためだ。今日の事は問わない」濟は即わち帝を刺す。刃は背まで出た。文王は聞いて大いに驚ろき、自ら地に投げ捨て曰った「天下は我を何というだろうか!」太傅の司馬孚は奔ってきて帝を抱き寄せて哭す。「陛下を殺したのは臣の罪です」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く漢晉春秋》王沈、王業は文王に告げ、尚書の王經は出でず。王沈、王業はその意を理解した《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く世語》王沈、王業は將に出でて王經を呼ぶ。王經は從わず「あなたがたは行きなさい!」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く晉諸公贊》成濟は賈充に問うて曰わく「事は急です。いかがか?」充は曰う「公が汝等を養ってきたのは今日の事のためだ。何を疑うか!」濟は曰う「畏まりました」そうして刃を犯す《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く干寶晉紀》戊子の夜、帝は自將從僕射李昭、黃門從官焦伯等下陵雲臺,鎧仗授兵,欲因際會,自出討文王.會雨,有司奏卻日,遂見王經等出黃素詔於懷曰:「是可忍也,孰不可忍也!今日便當決行此事.」入白太后,遂拔劍升輦,帥殿中宿蒼頭官僮擊戰鼓,出雲龍門.賈充自外而入,帝師潰散,猶稱天子,手劍奮擊,莫敢逼.充帥厲將士,騎督成倅弟成濟以矛進,帝崩于師.時暴雨雷霆,晦冥.《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く魏氏春秋》賈充は帳下督の成濟を呼んで言う「司馬家が敗れたならば、汝等はどうなるかわかっているのか?どうして出擊しない!」成倅兄弟二人は帳下の人を率いて出で顧みて曰わく「殺しますか?捕らえますか?」と聞いた。充は「殺せ」と言った。交戦すると帝は「武器を棄てろ!」というと、大將軍の兵士は皆武器を棄てた。が成濟兄弟は帝を刺す。帝は車の下に転げ落ちた《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く魏末傳》 庚寅、太傅の司馬孚、大將軍の司馬昭、太尉の高柔、司徒の鄭沖は稽首して言った。「故高貴鄉公は道に逆らって自ら大禍に落ちました。漢の昌邑王が罪を得て廢された故事にならい民禮をもって葬送します。臣等もまた禍亂を救い匡正できませんでした。臣等は伏して申しますに殿下の仁慈を慮って,大義はあると申しましてもなお哀れにして臣等も忍びず、恩を加えて王禮をもって葬送します」太后は之に從った《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 丁卯、高貴鄉公を洛陽の西北三十里瀍澗之濱に葬る。車は數乘以下で旌旐を設けず。百姓は相集まって之を観る。「是は前に殺された天子様だ」或ものは面を覆って泣いた。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く漢晉春秋》 使持節行中護軍で中壘將軍の司馬炎を遣わして常道鄉公璜を迎えさせ明帝の後を継がせる。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 癸卯、大將車は相國、晉公、九錫之寵を固く辞退する。太后は詔してその功を明らかにする。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 戊申、大將軍の司馬昭は上言し「高貴鄉公は從駕人兵を率いて拔刃し金鼓を鳴らして臣に向かってきました。懼れおおくも兵刃は相接し、將士が傷害するところとなりました。令に違えたものを軍法に照らし、騎督の成倅の弟で太子舍人の濟は公を傷つけ落命させました。濟を捕らえ軍法を行い、臣聞人臣之節,有死無二,事上之義,不敢逃難.前者變故卒至,禍同發機,誠欲委身守死,唯命所裁.然惟本謀乃欲上危皇太后,傾覆宗廟.臣忝當大任,義在安國,懼雖身死,罪責彌重.欲遵伊、周之權,以安社稷之難,即駱驛申,不得迫近輦輿,而濟遽入陳間,以致大變.哀怛痛恨,五內摧裂,不知何地可以隕墜?科律大逆無道,父母妻子同產皆斬.濟凶戾悖逆,干國亂紀,罪不容誅.輒侍御史收濟家屬,付廷尉,結正其罪.」[一]太后詔曰:「夫五刑之罪,莫大於不孝.夫人有子不孝,尚告治之,此兒豈復成人主邪?吾婦人不達大義,以謂濟不得便為大逆也.然大將軍志意懇切,發言惻愴,故聽如所奏.當班下遠近,使知本末也《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》成濟兄弟は不即伏罪,袒而升屋,醜言悖慢;自下射之,乃殪《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く魏氏春秋》 六月癸丑、詔して曰わく「古の人君の名は字を為すに、犯し難い諱に変えたものだ。今、常道鄉公の諱字は甚だ避けにくい。朝臣は博く議論し奏上せよ」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 六月甲寅、洛陽に入り皇太后に会う。即日太極前殿において皇帝位を継ぐ。大赦。年を改める。民に爵位と穀帛を賜い格差があった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 景元元年夏六月丙辰、大将軍の司馬師の位を進めて相国と為す。晋公に封ず。二郡を加封し前のと合せて十に満つ。九錫之礼を加える。詔に曰く諸族從子弟で未だ侯に無いものを皆亭侯に封じ、錢千萬、帛萬匹を賜う。司馬師は固く讓り沙汰止みとなる《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 己未,故漢献帝夫人節が薨ず。帝は華林園に臨み、使者に節を持たせ夫人を献穆皇后と追諡する。葬礼車服の制度は皆漢氏の故事に則った。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 癸亥、尚書右僕射の王觀を司空と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 冬十月、王觀が薨ず《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、燕王(曹奐の父)が冬至の賀を上表し、臣と称す。詔曰:「古之王者,或有所不臣,王將宜依此義.表不稱臣乎!又當為報.夫後大宗者,降其私親,況所繼者重邪!若便同之臣妾,亦情所未安.其皆依禮典處,當務盡其宜.」有司奏,以為「禮莫崇于尊祖,制莫大于正典.陛下稽德期運,撫臨萬國,紹大宗之重,隆三祖之基.伏惟燕王體尊戚屬,正位藩服,躬秉虔肅,率蹈恭德以先萬國;其于正典,闡濟大順,所不得制.聖朝誠宜崇以非常之制,奉以不臣之禮.臣等平議以為燕王章表,可聽如舊式.中詔所施,或存好問,準之義類,則『(宴)[燕]覿之(族)[敬]』也,可少順聖敬,加崇儀稱,示不敢斥,宜曰『皇帝敬問大王侍御』.至于制書,國之正典,朝廷所以辨章公制,宣昭軌儀于天下者也,宜循法,故曰『制詔燕王』.凡詔命、制書、奏事、上書諸稱燕王者,可皆上平.其非宗廟助祭之事,皆不得稱王名,奏事、上書、文書及吏民皆不得觸王諱,以彰殊禮,加于后.上遵王典尊祖之制,俯順聖敬烝烝之心,二者不愆,禮實宜之,可普告施行《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月甲申、黃龍が華陰縣の井戸の中に観られた。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 甲午、司隸校尉の王祥を司空と為す《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 誕生者 死没者 曹節:献穆皇后。曹操の娘。献帝の皇后。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/154.html
<魏 252年> <蜀漢 252年> <呉 252年> 252年 嘉平四年(魏) 皇帝 曹芳(魏) 皇后 (空位)→張氏 皇太子 三公 太傅:(空位) 太尉:司馬孚(前司空) 司徒:高柔(前司空) 司空:鄭沖(前光祿勳) 九卿 録尚書事:司馬師(撫軍大將軍→大将軍) 光祿勳: その他の要職 大将軍:→司馬師(前撫軍大將軍) 車騎將軍:郭淮(前征西將軍) 驃騎將軍:? 衛将軍: 地方官 雍州刺史:陳泰 主な事件 四年春正月癸卯、撫軍大將軍の司馬師を大將軍と為す《三国志魏書三少帝紀》 二月、皇后に張氏を立てる。大赦。《三国志魏書三少帝紀》 夏五月、二匹の魚が武庫の屋上に見られた。《三国志魏書三少帝紀》 冬十一月、詔して、征南大將軍の王昶、征東將軍の胡遵、鎮南將軍の母*丘儉等が吳を征討する。《三国志魏書三少帝紀》初め孫權は東興に隄を築いて巢湖をせき止め、後に淮南を征討した。壞れても修復しなかった。是歲、諸葛恪は軍を率いて隄の左右を山と結び両側に城を築いた。全端と留略に之を守らせ、軍を還えした。諸葛誕は司馬師に曰わく「文舒に江陵を逼迫させ、仲恭を武昌に向かわせ、吳の上流をくいとめた後に、精鋭兵で兩城を攻め、救援が至れば大いに捕獲すべきです」司馬師は之に従った。《三国志魏書三少帝紀に引く漢晉春秋》 十二月、吳の大將軍である諸葛恪が拒戰し大敗する。利在らず還す。《三国志魏書三少帝紀》母*丘儉と王昶は東軍が敗れたと聞き、各々屯を焼いて退却する。朝議は諸將の罪を問うとしたが司馬師は「私が公休の言を用いなかったからだ。私に誤りがあり諸將にどんな罪があるのか?」と言って悉く許した。時に司馬昭和が監軍として諸軍を統率していたので、唯司馬昭の爵を削るに留めた。是歲、雍州刺史の陳泰が并州と力を合わせ胡を討伐したいと願い出た。司馬師は之に従った。いまだ集合する前に、雁門、新興の二郡は遠く役務に駆り出されるのを思い造反する。司馬師はまた朝士に謝った。「私の過ちである。玄伯之責ではない!」これにおいて魏の人は喜び、報いんとおもうようになった。《三国志魏書三少帝紀に引く漢晉春秋》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/114.html
<魏 243年> <蜀漢 243年> <呉 243年> 243年 正始四年 (魏) 皇帝 曹芳(魏齊王・字蘭卿) 皇后 (空位)→甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘) 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:蒋済(前領軍將軍) 司徒:衛臻(前司空) 司空:崔林(前司隸校尉) 九卿 衛尉: その他の要職 大将軍:曹爽(前武衛將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:王淩(前征東將軍) 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 雍州刺史:郭淮 主な事件 四年春正月、帝は元服された。臣下に各々格差をつけて恩賜があった《三国志魏書三少帝紀》 夏四月乙卯、皇后甄氏を立てる。大赦《三国志魏書三少帝紀》 五月朔、皆既日食があった《三国志魏書三少帝紀》 秋七月、詔して故人である大司馬曹真、曹休、征南大將軍夏侯尚、太常桓階、司空陳群、太傅鍾繇、車騎將軍張郃、左將軍徐晃、前將軍張遼、右將軍樂進、太尉華歆、司徒王朗、驃騎將軍曹洪、征西將軍夏侯淵、後將軍朱霊、文聘、執金吾臧霸、破虜將軍李典、立義將軍龐德、武猛校尉典韋を太祖の廟庭に祀る《三国志魏書三少帝紀》 冬十二月、倭國の女王俾彌呼が使者を遣わして奉獻する《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/172.html
<魏 234年> <蜀漢 234年> <呉 234年> 234年 嘉禾三年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝) 皇后 (空位) 皇太子 孫登 三公(呉) 丞相:顧雍(前太常) その他の要職(呉) 太常:潘濬 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 上大將軍:陸遜? 主な事件 三年春正月、詔して「兵乱は永く続き、民は賦役に困っている。歲或不登.其寬諸逋,勿復督課。」《三国志呉書呉主権伝》 夏五月、孫權は陸遜、諸葛瑾等を江夏、沔口に、孫韶、張承等を廣陵、淮陽に遣わして、孫權自らは大軍を率いて合肥新城を囲む。是時、蜀の相である諸葛亮が武功に出ていたので、孫權は魏の明帝が遠く出てこられないだろうと言っていたが、明帝は司馬宣王に兵を増兵して亮を拒む一方、自ら水軍を率いて東征してきた。壽春に至る前に孫權は退還する。孫韶らもまた退却した《三国志呉書呉主権伝》 秋八月、諸葛恪を丹楊太守と為し、山越を討伐する《三国志呉書呉主権伝》 九月朔、霜がおり、穀物を傷つける《三国志呉書呉主権伝》 冬十一月、太常の潘濬が武陵蠻夷を平定する。事畢,武昌に還る。詔して再び曲阿を雲陽、丹徒を武進とする。廬陵の賊の李桓、羅厲等が反乱する《三国志呉書呉主権伝》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 233年<< >>235年
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/2874.html
三国志大戦~乱世の群狼~ 18 名前:水先案名無い人 :2005/10/27(木) 22 41 03 ID hj5rGl7v0 「中華最強の新カードは引いたかーッ!!」 「連コ厨ばっかでひけねえよーーーーー!!!!」 「こやつめ!ハハハ」 三国志大戦~乱世の郡狼~新カード入場!! 飛将軍は生きていた!! 号令+兵法を喰い人間台風が降臨した!!! 武力50オーバー!! R呂布だァ――――!!! 新勢力デッキはすでに我々が完成している!! 虚誘掩殺R賈クだァ――――!!! 計略使いしだい士気吸収しまくってやる!! 反計代表 SR郭嘉だァッ!!! 騎兵の殴り合いなら我々の突撃ボーナスがものを言う!! 白銀の大号令 全軍突撃 新R馬超!!! 真の護城を知らしめたい!! 金城鉄壁 R王異だァ!!! 新大車輪は3種類だが使えるのは私のものだけだ!! 神速大車輪 新R趙雲だ!!! 反計対策は完璧だ!! 封印の計 蔡ヨウ・沮授!!!! 全ダメージ計略のベスト・ディフェンスは私の中にある!! 新カード唯一のダメ計持ちが来たッ 審配!!! 柵弓には絶対に敗けん!! 陥陣営のケンカ見せたる 特攻隊長 高順だ!!! バーリ・トゥード(バグあり)ならこいつが怖い!! 袁紹軍のピュア・プリズナー 田豊だ!!! 江東から炎の忍者が上陸だ!! 何故か魅力無し 新R周瑜!!! 最大士気の低い戦がしたいから堕落の舞いを踊るのだ!! 卑屈系とのコンボを見せてやる!!R鄒!!! めい土の土産に超絶号令とはよく言ったもの!! 武力9の槍ワイパーが今 弓の国でバクハツする!! 江東の虎 SR孫堅だ―――!!! 魏優遇こそがSSQの代名詞だ!! まさか本当に魏で出るとはッッ SR関羽!!! さらわれたからここまできたッ 手足一切不明!!!! 西涼のグラス(眼鏡)ダンサー SR蔡文姫だ!!! 私はショタキャラではない孫堅の弟でいい年なのだ!! 御存知ポスト朱治 孫静!!! 騎兵の本場は今や西涼にある!! オレたちを止められる槍はいないのか!! R張遼・馬鉄&馬休だ!!! エロォォォォォいッ説明不要!! 兵力全快!!! でも武力-10!!! 何太后だ!!! 号令は大勢に使ってナンボのモン!!! 超m9(^Д^)プギャー!! 名門袁家からSR袁紹の登場だ!!! 天下はワシのもの 邪魔するやつは思いきり殴り思いきり(自城も)殴るだけ!! 自城ダメージ計略統一王者 董卓 自分を試しに計略を使えッ!! ギャンブル計略全カードチャンプ 郭図!!! 傾国の舞いに更なる磨きをかけ? ”互いの城に同ダメージ”R貂蝉が帰ってきたァ!!! 今の自分に死角はないッッ!! シュート・アーチャーSR太史慈!!! 中国四千年のツンデレが今ベールを脱ぐ!! パパ大好き 呂姫だ!!! ススメロックの前でならオレたちはいつでも自城帰還だ!! 金さん信長 UC劉備 袁紹軍で登場だ!!! 医者の仕事はどーしたッ ワラワラの炎 未だ消えずッ!! 浄化も強化も思いのまま!! 華陀だ!!! 特に理由はないッ 小覇王が強いのは当たりまえ!! 義弟と嫁にはないしょだ!!! R小喬で撤退回避! SR孫策がきてくれた―――!!! 董卓の元で磨いた実戦毒殺!! 西涼のデンジャラス・アサシン 李儒だ!!! ネタ武将だったらこの人を外せなかったんだよ!! な、なんだってー R李典だ!!! 超三流伏兵の超一流の攻城だ!! 生で拝んで「げえっ、簡雍!」 残り数カウントの鋼鉄人!! 簡雍!!! 援軍の存在はこの男が無意味にした!! 兵力回復の切り札!! 新SR劉備だ!!! 若き呉王が帰ってきたッ どうしてそんなにネタ臭いンだッ 名君ッッ 俺達はある意味君を待っていたッッッUC孫権の登場だ――――――――ッ 加えてふんばれ!とのコンボに備え超豪華?な勝手に移動する計略持ちカードを4枚御用意致しました! ピンボーラー UCホウ徳!! 迷走派大車輪 新R張飛!! 砲丸のピンボール 新SR呂布! ……ッッ どーやらもう一枚は兄弟喧嘩で撤退した様ですが、復活次第ッ皆様にご紹介致しますッッ 関連レス コメント 名前
https://w.atwiki.jp/sangokushisenki/pages/44.html
主将に設定された武将は、マイページやプロフィールに表示され、物語中に他プレイヤーと遭遇した場合にも主将が表示されます。武将編成/強化ページの武将詳細にある「主将変更」ボタンで変更が出来ます。
https://w.atwiki.jp/satosasara/pages/52.html
ホーム 著作者データベース検索サービス チェビオP検索 50音順 サ行 §サ行/50音順/チェビオP検索 ■呼称の頭文字のフリガナが「サ」から始まる作曲者 ささのあP|user/38819689 ■呼称の頭文字のフリガナが「シ」から始まる作曲者 「チェビオP 頭文字サ行シ」をタグに含むページは1つもありません。 ■呼称の頭文字のフリガナが「ス」から始まる作曲者 「チェビオP 頭文字サ行ス」をタグに含むページは1つもありません。 ■呼称の頭文字のフリガナが「セ」から始まる作曲者 「チェビオP 頭文字サ行セ」をタグに含むページは1つもありません。 ■呼称の頭文字のフリガナが「ソ」から始まる作曲者 「チェビオP 頭文字サ行ソ」をタグに含むページは1つもありません。